20111231

2011 was a year of..



災難、岐路、革命、思い出、可能性、感動。2011年は人類にとっての変化の年だった気がする。


今日は、そんな2011年を振り返りながら、すこしは真面目に描いてこうと思う。


オーストラリア、ブラジル大洪水から始まり、NZの大地震、トルコ、アメリカの竜巻。フィリピン、タイの洪水。アラブ、チュニジア、リビア、エジプトにウォール街デモ。ビンラディン、カダフィ、金正日の死亡。そして、Steve jobsの死去。ノルウェーのテロ、イギリスの暴動、フランスの原発、台風12号、15号、アウトブレイク、デフォルト、ソマリア。9.11から10年。


そして、東日本大震災。容易に触れられないテーマでもあって避ける人もいる。でも実際、今年を振り返るとその記憶に占める量はかなり多い。命に重さも量も無いのだから、その17日前に起きたNZの惨劇も本当は同じであるべきなのに、実際に僕のNZの記憶が薄くなってるのは否定出来ない。


一人ひとりにドラマがあって数字だけでは、、ということを聞くこともよくあったけど、今回の災害で15843人の死者、3469人の行方不明者が出た。阪神淡路では死者6434人、行方不明者3人。正直、僕は今でも想像ができない。






3月11日、僕はジャイプルにいた。ずっとまともにシャワー浴びてなかったから、その日は初めてホットシャワー付き宿に泊まってて、部屋にテレビがあって感動してテレビつけたら、たまたまニュースがやってた。


ヒンドゥー語は分からないから、衝撃的な映像と「JAPAN」、「TUNAMI」の文字だけが視覚の情報として入ってきた。いまいち起きていることが信じられなかった。翌日の新聞の一面は全てそれだった。英字新聞を頑張って読んで数字や地方の地名が並んでるのをみて、起きていることを理解した。

現地の方は一緒に、彼らの神に祈ってくれた。ほんとに全員の人が。街に出ると家族は大丈夫か?とか声をかけてくれる人ばかりで、大丈夫って答えると、ものすごく安心した顔をみせて、同時に彼らの神にお祈りしてくれた。オーストラリアやインドネシアの友達からも大丈夫かってメール来てて、一緒に祈ってくれた。ほんとにうれしかった。他の国の人の優しさを知った。


次の日の一面は全て原発だった。情報がうまく手に入らずに不安ばかり。情報が無いときの不安やもどかしさも感じた。前日、あれだけ祈ってもらって、勝手に外国人に対して申し訳なくなってる自分も居た。
帰ってきて、僕に関わる全ての人は無事だということを知り安心した。それから情報を集め、多くのことを自分で考えた。改めて動画や写真で見ると、涙が出てきた。本当に全ての事を整理するのに時間がかかった。僕は最近になって初めて、義援金というものを寄付した。


3月11日に起きたことは忘れてはならないことだし、次の世代に伝えて行かなければならないし、避けてたりしても始まらない。とにかく僕等世代は、たとえ甘い考えでもなんでも、もっと真剣に議論するべきであると思う。神経質になって進まないよりはプラスの要素ははるかに大きい。
たとえビジュアルの為や写真家の思惑とかで作られていたとしても、写真や動画から得られる情報は大きいと思った。僕は海外の新聞に載ってた写真と日本の写真の違いに違和感を感じた。
写真一枚とってもひとつひとつに本当に多くの情報が隠れてて、時間軸やその瞬間のストーリー、その人の生活、災害前の景色落ちてるモノや手に持ってるもの、周りの状態、表情、見てる新聞の文字、いろんなものをしっかり見て少しでも情報を一枚から得ようとしたら、見えてくるものも違ってきた。2011 Tōhoku earthquake and tsunami  


そんな2011年も後少しで終わって、めでたく新しい年が東から向かってきてる。今年はなでしこの優勝とか長友の活躍とかめでたいことだってちゃんとあった。なにより家族や、友人に訃報が無く、みんな健康で過ごせた訳だしね


個人的には、年の瀬最後のビックニュースに胸が踊り、二分後には笑いと温かさを頂きました。ほんと最後に全て持ってかれた。とにかく、2011年が来年のマヤフラグなんてことありませんように。寒いけどみんな健康で。全ての人に感謝と安らぎを。また来年も生きて会いましょう。


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